アニメ【るろうに剣心】に詳しい方、教えて下さい!
京都編の幕開け時に、大久保さんが神谷道場に現れ、剣心に「あえて単刀直入に言おう!緋村!志々雄が京都で案略している!」といったシー
ンありますが、それを聞いた剣心は何を思ったんでしょうか?
「こりゃ〜やべぇな」と感じたんでしょうか?
あの段階で剣心は志々雄真実の危険度または強さわかっていたんですか?
だって「拙者ですら直接面識はござらん!」と言っていたので、心の中では「まぁ、俺は無敵だからどうにかなるかそんな奴!人斬り抜刀斎は俺様がNo.1だぁ」と思っていたんでしょうか?
その辺詳しく教えて下さい!
よろしくお願いします!
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「案略」って何よ? そんな日本語存在せんぞ。
「暗躍」だろ。……これだからゆとりは^^;
――と国語の問題はさておきw
少なくとも軽視できる問題だと考えている訳では無かったと思いますよ。大久保卿には「痩せましたね」と気遣うような言葉を掛けているし、紀尾井坂の変の日も「話が長くなるだろうから」と単純にイエスかノーで済む問題ではないと暗に示しています。
何より飛天御剣流の継承者として、志々雄の存在を放置できるものではないと考えていたことは間違いないと思われます。ただ剣心の想像を遥かに上回って連中の行動が速かったということでしょう――大久保卿が剣心に話を持ちかけてからわずか一週間後に暗殺されてるんですから。これはつまり、たった一週間の間に「大久保が企んだらしい」(情報入手)→「さてどうする?」(対策会議)→「暗殺しよう」(実行)と非常にスムーズに事を運んでしまったのですから。
そーゆう訳なので、剣心は「こりゃ今すぐ行動しなきゃ駄目だな」と考えたのでしょう。じっくり出方を窺ってる余裕とか無いぞ、と。
ただ志々雄の実力を過小評価していたということは無いと思います。「影の人斬り」の後継ゆえその実力は自分と同等だと考えていたでしょう。それに追憶編の時に、桂さんが抜刀斎に「かなりの危険人物だが腕はお前と互角に立つ」と明言してますよ。
――以上、あくまで私の推測に過ぎませんが。
(追記)
少なくとも「最大多数の最大幸福」という観点からは危険な存在だと思いますよ。彼の統治する社会には「自由」が無い。
確かに民主主義は時として「衆愚政治」と言われることもあります――現在の首相が無能なのも、延いてはそんな政治家たちばかり選出している我々国民の責任でもある訳ですから。
けどだからといって、絶対王政が許容されることもあってはならないと思います。確かにその王が非常に有能で民意を良く反映されてくれるような方ならば、上意下達を効率化させたこの方法で、民をとても豊かにすることができるでしょう。
けれど志々雄が統治する社会の現状は新月村に現れています。逆らう者は排除され、逆らわない者とて長いものには巻かれろとの諺の通りにただ我が身可愛さで日々を生き延びようとしているだけ――。現代世界においても北朝鮮は結構こんな感じですね。
ちなみに少し話は変わりますが、共産主義が批判される所以もこれと似たような部分があるんですよ。個人の資産を否定して国家全体で共有することによって、確かに理論上の貧富の差は解消されるでしょう――喩えるなら「お前のものは俺(国家)のもの。俺のものはみんなのもの」って感じです。しかしそれは同時に、「俺」こと「国家」――延いてはそれを構成している「統治機構」が絶対的存在として君臨している訳です。国家が持っているものをみんなで共有している訳だから、その国家が「これは持っちゃいけない」と言ったら、みんなもそれは持ってはいけないということにされてしまうのです。
……で志々雄真実の統治する社会ってのは、まさしく共産主義に近いものです。いや、もっと言えば北朝鮮に近いかな――正式名称は朝鮮“民主主義”人民共和国ですが、最初こそ民意に基づいて選ばれたトップだったんでしょうけれど、そのトップが色々と仕組みを弄って独裁体制を築き上げてしまったって感じ(これは第三帝国でも見られた現象ですね)。それはある意味で衆愚政治の究極化でしょうが、日本の場合、とりあえず憲法というセーフティが現時点ではまだ有効なので独裁政権が築かれることは避けられていますが(ちなみに憲法というのは、国民を保護し政治家を戒めるために存在してるんです)。
まぁ要するに、自由主義を信奉する身としては個人の自由意志を否定するような統治形態は受け容れられません……喩えそれが「最大多数の最大幸福」を否定することになろうとも(って言ってること矛盾してるかな^^;)。でも自由――自己決定権があるということは、それだけ自分に責任を負わされるということではあるけれども、代わりに自分が本当に何かをしたいと思った時に周囲がそれを制止する権利もまた無いということなんですよ。
支配されることに慣れて歯車と化してしまうは、ある意味では問題が起こった時には自分の所為ではなく支配者の所為だと責任転嫁ができることでしょう。それは自分が何をしようとも自分の責任では無いと言っちゃえるので、結構楽な気持ちになるもんです。――でもやっぱり、例え自分に全責任を負わされることになるんだとしても、自分で選んだ道を歩きたいな、って思っちゃう訳です。ん-、叶えたい夢とかあるからかな……何か子供っぽくて青臭い台詞ですけどw
何だか話が全然別の方向に進んじゃってますねwww
でも率直な気持ちを書いてみたら、なぜかこんなことになってしまっていたんで……悪しからず^^;
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